絢クレーンでつり上げられた巨大なコンテナは、海辺、遊星とジャックが出会った倉庫のそばに置かれた。灰色の、サテライトになじむ外壁とは打って変わり、内装はといえば、つややかな作業台、壁にかけられた様々な器具、あるくとカツカツと音のなるうつくしい床など、お古が常の遊星がなじむには、しばらく時間がかかる環境であった。 「必要なものがあれば言ってくれ。すぐ用意する」 入口に立ったジャックが、コンテナ内の詳細を書いたファイルを目で流しながら、去り際のかおをした。夢中になっていると、鼓膜をさわる音に集中できないのは、遊星のわるい癖だった。見たこともない器具は、使ってみれば用途がはっきりするだろう。すぐに使いこなせる自信はあったし、なにより、自分のちからの幅をひろげられると思うと、わくわくした。 かすかな目のきらめきに、ジャックは気づかない。思い出したように、携帯端末を遊星にむかって投げる。受け取り、ふしぎなものを見るように、つまみあげた。 「おれのをひとつ貸してやる。電話は出ろよ」 とじられた空間が出来上がり、遊星はおのれのふつふつとした熱情を感じた。むずむずする。その欲望に身をまかせ、端末をほっぽりだして、まずは積み上げられた砂糖の袋を乱暴に破った。 携帯の端末が、けたたましい音とともにふるえ、机上を移動し、床におちた。 着信音には見向きもしなかった遊星は、その床と端末がぶつかる音でもって振り返った。床と発せられる音に敏感なのは、もし落下したのが作品だったらと、恐れているからだ。尚もうねりをあげている端末を一瞥し、いまはそれどころではないとまた視線を戻す。集中力が盲目にする。 無口な生き物だ。表向きは。 ただただ煮詰められ、こねくり回されるだけの飴。受動的な物体は受けるちから、その波の緩急をとてもやわらかく、純粋に受け止め、影響されることを享受している。どんな姿になろうとも、それは職人の思うがままである。そういう、猫かぶり。 知らず知らずのうちに噛みしめていた奥歯をふりほどく。尋常ではない温度が、手の皮を突き刺す。繊細で優美なかたちを仕上げる武骨な指、手入れされていない黒い肌、また、数えきれぬ火傷の痕が、遊星の手だ。慣れきってはいるものの、何度も手の位置をかえないと、いまだに水ぶくれができるし、その水ぶくれは、飴の形成にとって邪魔でしかない。痛みも集中を妨げる。 鍋のなかできらびやかな色をはなつ飴が、湯気で遊星の額を殴りつづけている。実際、主導権があるのはこの鍋の中身の方だし、職人は、それに合わせて、言いかえれば、飴のご機嫌とりをしながら、出来得る限りの造形をしているだけだ。決して、職人が好き勝手できるわけじゃない。傲慢な態度は鼻を打ちのめされてしまう。 透きとおった黄金色は、空気をまぜると、表情のある白色に変わる。ふだん遊星が子どもたちに配ってやっているのはこの状態の飴で、これを様々なかたちに造形して、着色しているのだった。 しかし今回依頼されたのは、これよりもすこしまえの状態、透明感のある飴に、徐々に空気をまぜていき、さまざまな色の飴を織りまぜたデコレーションをすることであり、勝手が違う。また、飴本来の材料を工夫して、通常のものと光沢の具合をかえたりして、あらゆる角度から楽しめるものでないといけない。結婚式で使うということは、そういうことだろう。 モチーフはもう出来上がっている。かたちにはしないが、頭のなかにしっかりと描かれている。あとは技術を精錬していくだけだ。 溶けた鉄をおもわせる飴を、躊躇なく掴み、引っ張り上げた。伸ばしては折り曲げ、折り曲げては伸ばす。りぼんのような、美しい重なり合いが作業台におちる。 (……違う。これではない) うまくいかない。頭のなかで思い描くものが高度すぎるのか、はたまた自分の技術が拙いのかは、わからない。前者だったらまた考え直せばいいし、後者だったらもっと練習すればいい。脇目もふらず作業台に向かう遊星の背中に、苛立つ紫のひとみが剣を突き付けている。 「……」 「くそっ……」 (電話に出ないから、来てみれば。気づいていないのだろうか。ふつう、さすがに振り向いたりするはずだ……いや、こいつは、おれの名刺をごみだと言い放った輩だ、言いきれない。言いきれはしない……) ふしぎと、普段の苛立ちとは違う表情であることが、ジャック自身にもわかった。短気だという自覚はある。おなかの底で渦巻く苛立ちが、いつも、あたまの思考回路を鈍くさせることも、わかっている。だからふしぎだった。着信を無視して作業に没頭している男をいざ見つけても、ジャックの頭は冴えわたり、苛立つどころか、どこか恍惚としたとろみが、眦に生まれてくる。 野心でもない、粗野でもない、野生のけものめいた眼の色をしているくせに、どうしてそこまで繊細で、技巧的なものが作り出せるのだろう。うつくしい。その到底結びつくとは思えぬものが、繋がっていることが、背徳的で、たまらなくうつくしい。 ジャックはうつくしいものが大好きだった。うつくしいもの、それは花嫁の涙・笑顔にまたたくフラッシュ・味覚も視覚もうるおわせる見目麗しい食事……ジャックがこの職業についた理由だった。うつくしいものをいちばん近距離で味わえ、またプロデュースできるこの職ほど、ジャックのこころを満たすものはない。 「遊星……」 声は熱っぽかった。とろける飴のように絡まりあい、それは意識までとどくことなく、とじられたドアに挟まれて消えた。 ← back next |