アウンセクション(サティスファクション全盛期) / もだ
毒の実の蜜は馬鹿の味(25話) / 猫背
ジャックとコーヒー豆の木(ぽっぽ腕折りクロウ) / もだ
愛して劣情(最終回手前) / 猫背






















 とどめの一撃となるダイレクトアタックを宣言するジャックの声と、クロウの声がタイミングを計ったかのように重なった。ギャラリーはジャックの連勝に歓声をあげるが、未だに青筋を立てているクロウ一人だけ明らかに浮いていた。
「つーかてめーあんま目立つことしてんじゃねえよ、オレたちはいま首狙われてる存在なんだぞ」
「返り討ちにしてくれるわ! 大体オレに目立つなという方が無理な話だ」
「まあ確かに……、って、そういう問題じゃねえだろっ! もういい、早く店出ようぜ」
「おまえはオレの保護者か何かのつもりか。このジャック・アトラスに指図するな」
 ジャックの言葉にクロウは苦虫を十匹近く噛み潰したような、なんとも渋い顔をしてみせた。というのも「保護者」の言葉に、つい先ほどの流れが脳裏に呼び起こされたのだ。代金の支払いなど痛くもないが、育ての親によく似た女主人にこってり絞られたのがまだ身に堪えている。
「はああ? オレがどんだけ耐えてるか知らねーくせに、わがまま言ってんじゃねえ!」
「なんだと!」
 お互い我慢の限界であった。胸倉を掴みあい、ギラギラと睨み合う。それまでパフォーマンスかと囃し立てていたギャラリーも、拳が飛び始めてからやっとこの二人が本気でやりあっていることに気がついたらしい。ある者は興奮し、またある者は止めに入ろうと喜び勇んで間に割って入っていった。
 デュエルが観戦できるバーであるので、当然客のほとんどは酔っている。ちょこまかとすばしっこいオレンジ頭を殴ろうとしたらフラフラと飛び出してきた客を昏倒させ、無駄に長い脚目掛けて蹴りを繰り出せば乱闘騒ぎにハイになり転がってきた別の客の鳩尾にヒットした。
「おまえ、なに一般人殴ってんだよ!」
「そういう貴様こそこいつを蹴り飛ばしただろうが!」
「なっ、知るか! こいつが勝手に!」
 この数分後、傍迷惑な大立ち回りの結果とうとう二人纏めて店から追い出され、出入り禁止になったのは言うまでもない。

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 廃劇場の天井にあいた穴から青白い月を見ていると、まるで自分が狼男なのだとでもいうように、本能や血がざわめきたち、腹の底から吠え出したい気持ちが湧いてくる。スポットライトは王座と舞台を照らしている。一口だけの歯型をつけた禁忌の知恵の実は舞台上では上質なベロア生地のように鮮やかに照ることだろう。哀れなる天地創造を演じてみせようか。……ばかばかしい。生まれた瞬間から既に追放された世界にいたというのに、これより堕ちる場所があってたまるものか。
 まともな電灯などないサテライトでは、光源は空にある。夜のサテライトは空虚な箱庭のようにひっそりとしていて、寝息ひとつ聞こえない。ごみのパイプラインだけが年中ゴウンゴウンと音を立て、熱心に廃棄物の移送を行っている。寝食も怠惰もないなど、とんだ働き者がいたものだ、それを見るたび、ジャックは劣等感に苛まれ、怒り狂ってどうにかなってしまいそうになる。
 王座は鍋の底のように煮詰まりがちだと踏ん切りをつけ、月明かりの下を闊歩する。スモッグはすっかり消え、海風が身を切るようにぶつかってくる。ごろつきをしょっちゅう手荒く排除しているせいか、ジャックが渡り歩く地区には、滅多に部外者が立ち入ることはない。張り詰めた静寂だけが蜘蛛の糸のように張り巡らされている。……生き物の気配ひとつないくせに、無遠慮なドブネズミがずかずかと足あとをつけ、あまつさえ吐き気がするほどわざとらしい。
「もったいねえなあ、せっかく買ってきてやったのに」
 物陰に馴染むほどの危ない感じをした声音が、冷えたコンクリートを伝ってジャックの足首を止めた。振り向き、疲れきった眼差しを投げて促すと、切り抜かれた影のように足音もなく姿を現した。ジャックの荒んだするどい眼光がクロウを射抜いて、一触即発のような緊張感が張り詰める。
「余計なお世話だ」とジャックは睨みをきかせた。
「毎日メシも食わずぼけっと椅子に座ってるやつがいりゃあ、誰だって恵んでやりたくなるもんさ」

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「ジャックはどこまで行っちまったんだ?」
 子供じゃあるまいし、とそこまで心配はしていないのだが、ジャックには色々と前科がある。またしても変なのに巻き込まれているのではないか、と遊星と二人で考えあぐねているとブルーノが帰ってきた。手にDホイールのパーツらしきものをたくさん抱えている。人好きのする性格のブルーノはパーツ屋ともすっかり打ち解け、格安で貰い受けてきたらしくニコニコ顔だ。
「どうしたの二人とも、何かあった?」
「んー、ジャックのヤローが中々帰ってこねえんだよ。たかが買い物に何時間かかってんだ」
「ジャックなら、そこのラ・ジーンで見かけたけど」
「あんのヤロー、また無駄遣いか!」
 向かいにあるカフェ・ラ・ジーンは軽食やデザート、本格的なコーヒーを淹れる店でもあり、ジャックも何かと入り浸っている。訪れるたび三千円もするような馬鹿高いコーヒーを何杯も飲み、その請求をこちらに回してくるのでもうあの店には行くなと注意しておいたというのに、すぐこれだ。
 クロウは小雨の中飛び出しかけたが、すぐに思い直しソファで横になった。遊星とブルーノも、クロウが鉄砲玉よろしく駆けて行くと考えていたのだろう。二人して何事かと顔を見合わせている。
「もうあいつのことなんか知るか! 勝手にしやがれ」
 ジャックはクロウが言ったことなどすっかり忘れているに違いない。ジャックの傍若無人ぶりには慣れているが、近頃不満が溜まっていたこともあり余計にむしゃくしゃした。目の前に大きさの異なる植木鉢が並んでいる。鉢自体に罪はないのに、見ていると余計に苛立ってきた。
 自分が行けばきっと代金を支払うはめになるだろう。ジャックはほとんど金を持ち歩かない。店に迷惑がかかると仕方なく立て替えてやっていたが、我慢の限界だ。無い金を請求されて困ればいい。付き合ってられるか!
 自分の部屋に戻るのも億劫で(何しろ梯子を片手で昇らなければならない)そのままソファで横になる。本格的に寝入ってしまったクロウは、その日ジャックがコーヒーの海で溺れる夢をみる。

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 かかとの厚いブーツで階段を上がり、そのたび想起せらる全速力の日々が、走馬灯のように目の横を通り過ぎる。懐かしむほど年月は経っていないはずなのに、新鮮そうに映る家具やその配置が、クロウに戸惑いと疎外感を与える。かつて自分のものだった指定席に、誰か得体の知れぬ上着がかかっているような、自分だけが取り残され、仲間は加速する時間軸を生きて背中を向ける、心の臓がキュウウと音をたてて収縮するような感覚がある。
 電気の消されたキッチンやリビングが、懐かしく目に馴染んだ。使われたまま片付けられていない調理用品や皿がシンクに溜まっていて、遊星のずぼらな一面が垣間見える。いうなれば、自分で、自分のために料理している、というだけでも、随分と成長したものだが……。当然が当然でなくなるスイッチを踏んでしまったらしい。クロウの口端に純粋な笑みが浮かんだ。懐古の情をかきたてるということは、それは過去になってしまっているということだ。自覚がなかっただけに、事実が想像もできぬスピードで差し迫る。
 後ろから追いかけてきた足音を、振り返らずによく確かめる。大きな窓から月明かりが差し込み、ジャックの姿を床のスライドに映しだした。軋む床板が足音をかき消し、やがてふたりは並んで同じ景色を見た。目に見えぬ神経が手を繋ぎ、思考回路の波長がシンクロする。簡潔でうつくしい構造だった。
「遊星が料理だってよ」
「食えたものじゃなかろう」
「しょっちゅう爆発させてたおまえに言われる筋合いはねえだろ」
 きれいに揃った歯を見せて笑う。ジャックもおかしそうに吹き出して笑った。ふたりの笑い声は静まり返ったキッチンに反響して、なんだか一際浮き出て聞こえた。

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