真っ赤なウソを抱いて落ちる


 栄光の味は苦いというが、それは真っ赤な嘘である。もしも本当のことならば、彼らがいま感じている、美酒の煌めくような味わいは一体どういうことだろう。喉を通るたび、銀河の尻尾を掬ったような星屑が、するすると胃に落ちていき、溜まるどころか体内へ霧散し満ちていく。いくら飲んでも、甘美な感触は薄れることがなかった。そうしているうちに顔は紅潮し、口調も蕩けてきた。いまにもお互いの言葉が同化して、自分と他人の違いさえも、消滅するかと思われた。
「なあ! 今日のヤツらよお! やけに弱っちくなかったか?」
 肩を組むと、体温がずっと近くなって、隣のやつは自分のような気がしてくる。舌も増えて2本になる。目も増えて4つになる。指も増えて20本になる。なんてかっこいいんだ。おれたちは史上最強のデュエルマシーンに違いない。死ぬまでデュエルで勝ちを譲らないだろう。鬼柳の薄長い手の甲に筋が浮かび、遊星の肩をぎゅっと握った。引き寄せられた遊星の目の内は、ぽうっとしていたが、鬼柳に触れられて、すこし喜ぶような光を見せた。
「そうか?」
「おう! なんだ、あっけねえ~って思っちまった」
「あんま油断すんなよな。足元すくわれるぜ」
 クロウの眦にも熱が灯っていた。彼は元々、酒を飲むことが好きだったので、こういう祝賀会などでは、率先してボトルを傾けるのが常であった。時には、ペースの遅い者(おおよそターゲットは鬼柳である)の首根っこを掴んで揺さぶり、めちゃくちゃにしたり、草むしりするように髪を掴んで、上を向いた唇に瓶を突っ込んだりして、楽しそうにしていた。そしてそれを見て、ジャックも陽気に笑ったり、陶磁のような肌を紅潮させたりした。
「心配されなくたってだいじょーぶだっての! なんてったって、おれぁよ、天下のサティスファクションを仕切ってんだぜ? んな簡単にやられっかよ!」
「おまえに従っているわけではないだろう」
「んふふふふ。えっ?」
「……。おれたちはおまえに惚れてるわけじゃねえ、って言ってんだよ。な、ジャック」
 以心伝心である。ふたりは一度顔を見合わせて、頷いた。
「えーっ!?」
「えっ? じゃねえ! 何度も言わせんなよ」
「えっ、遊星もか? 遊星もそう思ってる?」
 間近で振り向かれた遊星は、顔の近さにどもって、イエスともノーともいえぬ返事をした。その焦りように、ジャックとクロウでしこたま笑ったあと、「冗談だよ。冗談」といって安心させた。
「ちゃあんと尊敬してやってるよ。なあ」
「そうだな、このおれを率いるのだから、それ相応の器だと認めんわけにもいくまい」
 好きなやつらに嬉しい言葉をかけられて、鬼柳はぱっと笑顔になった。そのまま肩を抱いた遊星ともども風に吹かれる花のように左右に揺れて、「ほんと、いい仲間を持ったぜ!」と遊星の肩に頭を擦りつけた。
 それから、機嫌のいい鬼柳は面白いほど酒を飲むのだが、特に止めることもせずにいたら、聞き取れぬほど呂律が回らなくなってきたため、全員うんざりして、すっかり酔いも醒めてしまった。
「んでよお、おれ、おれの、か、考えとしてはあ」
「鬼柳うるせえよ、もう黙ってろ」
「同意だ!」
 仲間の半数以上に否定され、夢心地ながら鬼柳は相当傷ついた。そのまま後ろへ倒れ、大の字になり、「ライフポイント50」と呟いたかと思うと、すぐに眠ってしまった。

 夜を歩いていると、まるで遊星の瞳を泳いでいるような気分がして、好きなのだが、これは誰にも言ったことはなかった。
 玉座の奥にある、アジトから秘密裏に拝借してきた食料袋から、手探りでつかみ出し、たまたま指に触れたしなびた林檎を齧った。きちんと生え揃った歯が、赤い皮を食い破り、淡いカスタード色の果肉を抉り取る。透明の果汁が顎を伝うと同時に、ジャックは廃劇場から外へと足を向けた。食べながらの散歩というのも、行儀がいいものではないが、誰に窘められるでもないし、たまにはいいだろう。奥歯でシャクシャクと噛み砕きつつ、踵が奏でる靴音の響くのを聞く。風が穏やかに吹く運命的な夜だった。空気のにおいを嗅ぎながら、足を進めるうちに、林檎を食べきってしまった。もう可食部分のないことを確認すると、がりがりの芯を側溝へ投げ捨て、果汁でよごれた手を洗いに、海辺の水道まで行くことにした。
 船着場の傍の水道で手を綺麗にして、初めて、さざ波の重なった音を聞く。遠くは見えないが、音の奥行きが距離を感じさせた。灰色の波が防波堤に当たり、折り曲げられる度、白い泡がいくつも浮かぶ。サテライトに具体的な時間という概念はないが、ジャックはいまが丑三つ時だと確信していた。波間からおどろおどろしい手が幾多も生え、引きずり込もうとこちらに伸びてくるのが、容易に想像できたからだ。
 そろそろ戻るかと思い始めた頃、ジャックはぎょっとして目を見開いた。なぜなら、少し先の砂浜に、祝賀会で倒れこんだときと同じ体勢のままで、鬼柳が横たわっていたからであった。寝顔は亡霊や死体のようで、このまま朝まで放っておけば、潮が満ちて溺れ死んでしまうだろう。しゃがみ込み、頬を打つが、反応がない。本当に死んでいるのか? と思えば、腹はしっかり上下している。見捨てるわけにもいかなくて、運んでやろうと背へ腕を差し込んだ際に、ぱらぱらと破片が剥がれ落ちた。不思議に思い、拾ってよく見ると、細かいガラス片である。それに、いままでこの男の相貌に気を取られて気づかなかったが、砂浜には尖った貝殻や骨の欠片がたくさん紛れ込んでいて、鬼柳の背にももちろん食い込んでおり、血が滲んでいる箇所もあった。
 ジャックはいままで、鬼柳のことをそれなりに認めてきたし、面白いやつだと思ってきた。鬼柳がふざけて馬鹿をしていると、笑ってしまうし、些細な悩みだと飛んでしまう。けれど、どこかに一抹の不安と違和感があったようだ。あの青灰がかった真っ白の顔を見た瞬間、それが意識に浮上してきた。先ほどの、天然の剣の上で死んだように眠る鬼柳が、死を待ち望んでいるように見えたのだった。こいつのことだ、どうせ酒に酔って意識朦朧とした結果、あんなところで昏倒してしまった、というのも、十分にあり得る。しかし、野性の勘は前者を告げている。
 抱えられた痩せた足は、ジャックが歩くたびに揺れた。林檎を片手に出た入り口から、男を腕に帰り、まっすぐ舞台への階段を上る。月の明かりがスポットライトのように差していた。ジャックの現実離れした見目麗しさのせいか、ある演劇の一場面が再生されているようであった。
 裏方へ回り、普段自分が眠るはずのベッドへ薄い体を寝かそうとしてやると、息を吹き返すようにして目を覚ました。タイミングのいいやつである。ひっついた瞼を剥がすように数度まばたきを繰り返し、暗い部屋でジャックの顔を見つける。
「え……おれ……」
「死ぬつもりだったのか?」
 鬼柳は傷ついた顔をしていた。
「は……?」
「……話にならん。とにかく今日はここで寝ろ。ほっつき歩いて野垂れ死なれたら、気分が悪いのはおれたちの方だ」
 死体を下ろそうとしていたときよりも、ずっと乱暴にベッドに放ると、鬼柳は人形のように転がった。そしてすぐに部屋を出ていこうとするジャックの袖を、藁にすがる溺れ人のようにして掴んだ。
「……なんだ」
 不遜に突き放しても、鬼柳は顔を伏せたまま、手を離そうとしない。袖を振るうたびに、掴む力は強まっているようであった。皺がつくのも嫌なので、ジャックは観念して、ベッドの縁へ腰を下ろし、深くため息をついた。
「どうした。なにかあるなら簡潔に言え」
 鬼柳は答えるように呻いて、ゾンビのごとく腕を伸ばし、ジャックの腰に抱きついた。顔を押し付けるせいで、表情がわからなく、しかも、段々とすすり泣くような声が漏れてくる。年をとった駄々っ子の相手ほど面倒なことはない。あのとき介抱を遊星に任せ逃げたときの罰が当たったか、とジャックは頭を抱え、とりあえず優しく肩を撫でてやった。彼の熱い息が服を通して肌にまで伝わってくる。
 あわよくばこのまま泣き疲れて寝てくれたら。ぐいぐいと距離を詰められて、肩を撫でていた手を、背中へと移動させると、ぷつぷつと服に穴が開いている。不思議に思い、目を凝らして自分の手を見てみると、薄っすらと赤い色が付いており、ジャックはそれを見て、さっと血の気が引く思いをした。
 しばらくすすり泣きを続けていた鬼柳だったが、途中からそろそろと蛇のように手を伸ばし、ジャックの股の間を撫でてきた。縋るように体を起こし、擦り寄ってきて、体温をべたべたと押し付ける。服の隙間からも手を差し込んで、撫で回しながら、か細い声で、
「なあ……なあ……」
 と誘ってくる。ジャックはついに折れて、彼をベッドに組み敷いた。

 朝の目覚めは最悪だった。被るものは全てとなりの野郎に取られているし、まともに身につけている衣服もない。ベッドの上は小さい血痕が点々としているし(特にこれが最悪だった)、おまけに身体中に歯形がついていて、柔肌が台無しだ。盛大にため息をつき、シャワーへ行こうと足を地上につけた途端――昨日のことがフラッシュバックするが――手首を掴まれた。今度はしっかりとした声で、
「どこ行くんだよ」
 なんて言ってくる。
「おまえには関係ないだろう」
「ひっでええええ。一夜をともにした相手に言うことかあーそれ?」
 ケロッとしやがって、鬼柳はいつも通りの鬼柳で、昨夜の死に際のような表情をしていなかった。ジャックは、うざったい絡みに辟易するのと同時に、ほんの少しだけ、安心するところもあるのだった。
「……とにかく手を離せ。おれはシャワーを浴びてくる」
「おれも行く!」
「一人用だ」
「いーだろ、狭いとこで朝からってのも」
 問答すら面倒になって、ジャックはくちを噤んだのだが、そのとき、二人分の足音が、廊下を進んでくるのが、ジャックと鬼柳ふたりにしっかり聞こえた。そして、
「おー。ここだったのか」
 クロウが至極当然のような顔をして、裸体のふたりを見つめている。ジャックが状況を把握する前に、間髪いれず遊星が、
「とうとうおまえも食われたか……」
 と若干誇らしげな笑みを浮かべて、部屋へ入ってきた。サティスファクション勢ぞろいである。完全プライベートな空間(しかもイケない方向の)を目撃されて、どうにかジャックはいまだ言い訳や打開策を練っていたが、鬼柳は嬉しそうに明るい声で、
「な、だから言ったろ? これで全員制覇だな! 三人ともごちそーさまあ」
 と笑った。