いわゆるひとつの暇つぶし


 薄い首の皮膚から、青い血管が透けて見える。酔ったあたまがふらつくと、髪が乱れて、その血管が蛍光灯のもとに晒される。まばらな毛先がうなじに踊っている。熱に浮かされた目でそれを眺めながら、最後の1滴を啜った。
 酔うってとてもたのしいこと。鬼柳が酒瓶を持ち出してくるときは、決まってハメを外したいときだった。たいして強くもないし、ペースがはやいわけでもないのに、彼はしきりに酒瓶を振りかざした。酒に強く、ペースもはやいクロウにとっては、すぐに潰れてしまう相手と呑むのなんてつまらないし、呑むなら知り合いのおとこどもの方が、よっぽどやりがいがあった。毎回毎回、今日こそは、なんて期待をしていたら、肩すかしをくらってしまう。
「考えてもみろよ。気が付いたら自分しか起きてねえんだぞ」
「でも、仕方ねーじゃん。それにいまは鍛えてる最中だしな。じき強くなるさ」
「そういう問題じゃねえ。体質ってのがあるだろ、生まれつきの……」
 聞きたくない聞きたくないと片耳をふさぎながら、鬼柳は深緑いろのボトルをあけた。ついこのあいだ制覇した地区からの戦利品だ。どちらかというとクセのある地酒を好むクロウと、甘ったるいリキュール類を好む鬼柳では、酒の好みも合わない。なのに頑なに自分と呑みたがる鬼柳の真意とは? まったく想像つかなかった。
 自分がほかのふたりよりも鬼柳を信頼していないからだろうか? それを見抜いて、しつこく? クロウの深読みはずぷずぷと泥沼に足を踏み入れる。素知らぬかおで振り返ってわらうと、髪が振り回されて、首筋が見えた。
「呑もーぜ。白だ」
「いいのか? ジャックが怒るぜ」
「ほっとけほっとけ。起きてきたら分けてやりゃいいんだ」
 遊星とジャックはとっくにベッドの中で夢を見ている。もともと夜行性の鬼柳と、たまたま眠れなかったクロウだけが、地べたに腰をおろした、味気ない呑み会だった。つまみはくすねたラスクとジャーキーが3本。とんだ組み合わせに呑む気がさっぱり失せた。
「……」
「あからさまにいやそーな顔すんな! ジャーキー2本やるから。な?」
 ヤニで濁った前歯のあいだに、隙間があいている。いたずらにわらうと、並びのわるい歯がむき出しになる。血色のわるいくちびるが引き延ばされて、鬼柳にしか出来ない笑顔になった。
 男らしくなければ女らしくもない鬼柳は、この曖昧な、人間なのかどうかよくわからない魅力を見せつけて、自分のおもいのままに導いてきた。ひと口に美形だ、不細工だと言い切れる顔ではない。ただ、人かどうか尋ねられると、即答しかねた。
 目は切れ長で涼やかに流れ、肌は白かったがくすんでいた。いつも顔色がわるく、くちびるは紫いろだし、食事をおろそかにすると、すぐに頬がこけた。歯並びはがちゃぼこで、ただでさえ見栄えのわるい歯は、多量の煙草でさらに醜くなった。ものぐさなせいで腐った歯茎から抜けおちた歯は、すべて海に投げてしまった。削って魚を釣る釣り針にでもすればいいものを、いつだって爽快感しか見えていないから、そういう、プライベートに関しての先を見通す能力が決定的に欠けていた。
 先ほどから渋々だったクロウはもはや引き下がれぬと感じ、ため息を吐き出した。途端、鬱蒼とした息が引き連れてきたアイデアは、雷のようにクロウの天を撃った。
「なあ、ふつうに呑んでもつまんねえから、ゲームしねえ?」
 なみなみと注いだグラスを差し出しながら、オウム返しに「ゲーム」とつぶやいた。勝負事を好む鬼柳の目が一瞬からっぽになって、すぐに燃える。内容も聞いていないのに、いまに頷いて歯をのぞかせるかと思われた。
「デュエルのダメージに合った分だけ呑んでくんだ。んで、先に潰れた方が負け」
「ライフに制限はねぇってことか。おもしれえ! 負けた方はどうする?」
「そりゃあ勝者の言うことをきく、だろ。なんでもな」
「……いいぜ。んじゃもしおまえが勝ったら、なにを?」
 いやな歪み方をするくちびるだった。もう勝負の烈火のなかにいる。争うことが大好きで、競うことを求め、そのうえ勝ちはぜったいに譲らない。負けたら負けたで勝つまでくり返し、やがて相手が気疲れするまで、蛇のようにしつこくまとわりつき、最後には必ず栄光を掴んできた。それがチームリーダーを名乗る鬼柳の性質だった。どんな手を使ったって勝たなければ始まらないと知っている。
 それがいくら尽くしてくれる青年だろうが、孤高ぶる青年だろうが、垣根なく征服する。朝も昼も夜も1年中、指図はいっさい受け付けないし、主導権は自分。血反吐を吐いたって拭えばそれがなに、なんて、残酷なことを言ってのけるのに抵抗も罪悪感もない!
「遊星とジャックにへんなこと吹きこむのやめろ、って言うな」
「……」
 おのれの影を支配できるおとこのように、鬼柳の表情がのっぺらぼうになる。さっきまで目の前にあったものが、瞬きをしたら忽然と消えてしまったかのような錯覚に襲われる。空虚への畏怖だった。ないものがないってどういうことかわからない。見えないし、見えないんだったらないってことだけど、それはないことがあるってこと? ……
「おれ、割と本気だぜ」
「割とってどんくらいだよ?」
「さあな。おれとおまえの物差しはちがうだろ」
「たしかにな。まァいいや、のった!」
 夜のいろは喉がうごくたび濃密になり、ねっとりと世を流動する。部屋に入りたがっているヘドロが窓に密着している。電球ひとつに照らされたアジトの隅っこが溶けて、窓の外、一面のヘドロと同化していくみたいに見えなくなる。
「トラップ発動。ミストラルリリースして、これとこれは死にで……手札はねえから関係ねえな。3ターンの間はドローカード見せてもらうぜ」
「ぐああくっそ! タイミングわりい。やべえ、おれピンチ!?」
「まだ呂律まわってんだから呑めるだろが、根性出せよ」
 まばらに置かれたカードに傷がある。折り曲げられて、ひしゃげたカードもある。目立つよごれはいけない。なるべく匿名性が高い方がいいに決まってるからだ。しかし大切に使ってきたカードこそ、マーカーみたいな、まず目につく特徴が現れてくる。目ざとさは武器になる。
 オレンジの髪をかきわけて、汗が一筋流れおちた。手の甲で拭って、鬼柳を見やる。汗ひとつ滲ませていない。熱帯夜のそとにいる。
「ひゃんぺう……」
「あ!? 聞こえねえよ」
「そんあきゃーひー! しょんべん」
「ったく、大丈夫かあ? 足にひっかけんなよ~」
「う~」
 もう目に見えたものだ。クロウの意識はまだまだ正常だし、場だってべつに不利ってわけじゃない。酔っ払いがどうあがくのかは見ものだと思うが、あんまり追いつめると塞ぎこんでしまうし、いまや約束だって守られるかは定かでない。いわゆるひとつの暇つぶしとして、いい相手をしてもらったと考えた方が利口だろう。デッキもお互い薄くなってきたし、そろそろ止め時だ。
 千鳥足よりもよっぽど行き先を見失ったつま先で、立ち上がり、便所に向かう。ふと、痩せぎすの背中に汗が染みているのを見つける。へんなポーカーフェイス、って、おかしなやつって呆れてわらった。