バニラシェイクパラダイス


 金柑みたいな夕陽に焼かれながら眼に張った膜が零れ落ちる。涙。椅子に引っ掛けていた足を下ろすと、膝から下がぶうんと速度を増して、ガラスにぶつかった。針金入りの強化ガラスがびりびり震えて、周りの客がこっちを向くけど、すぐに自分たちに没頭する。そうさ。誰もおれたちに興味なんてない。ついでに明日も未来もない。そう考えたら虚しくなって、何度も何度も引っ掛けては外してガラスを蹴った。
「おい、うっせーんだよそれやめろって」
 隣で携帯カチカチしながら百円のコーラ吸って眉間に皺を寄せてるクロウが好きな煙草はラッキーストライク。ちらっとおれのことを見たけど、すぐにまた画面に夢中でカチカチ、右の親指がすさまじい速度で動きながら、遠慮なく煙をおれに吹きかける。
「なあ、煙草吸うならあっち向けって」
「あ? ここ喫煙席だろ、馬鹿か」
「そおゆー意味じゃねえっ! わざわざおれに吹きかけることねーだろって言ってんの」
 クロウの眉は微動だにしないまま、携帯を見下ろしている。つやつやの額に夕陽が照って、ああもう泣きそう。ポテト買ったときに敷いてくれた白いナフキンで目元を押さえつける。拭き取ると、目頭に目やにがあったらしく淡黄色の粘っこいのが糸を引いた。ついでに鼻をかんで、丸めてトレーに投げる。
 カウンター席で並んでいると、おれとクロウって他人みたいだ。クロウ、いかちーし。長袖のパーカー着てるけど、趣味なのかなんなのかオーバーサイズだし、隠したいのか知らないけど手首からはしっかり墨みえてるし、ヘアバンドでがっつり上げたうなじにもおれの知らないマークがある(誰の所有印だよ)。ピアスだっていっぱい開けてる。おれが知らない穴だ。いまくちの中モゴモゴさせてんのも、タンウェブ転がしてるんだろう。それはいいけど。灰皿に積み重なった吸い殻の数だけ、おれとクロウの沈黙が増えていく。いつもなら気にならないのにな。おれは溶けたどろどろのバニラシェイクを飲み、ようやく携帯を閉じたクロウを見た。
「おれクロウのおでこ好きだわー」
「は? てかおまえ眉ピどした?」
「あー、千切られちゃって」
「マジかよ、誰にだよ」
「いまお世話んなってるとこ。ピアスとかあんま気に入らねえらしくて。ま、ここは無事だけどな」
 そう言って舌をべろっと出して持ち上げる。クロウとおそろいの場所にあけた、大事な大事な銀色のタンウェブ。歯に触れさせて存在を確かめる。
「おー、やっぱいいな」
「いいよな。おれ今度舌の真ん中にも開けようかなって思ってんだけど」
「いーじゃん。開けるときは連絡しろよな」
 あったりまえよ。おれ、こう見えて、クロウのことすっげー大切に思ってるし。
 店内は冷房がきいて涼しくて、おれなんか寒イボたってるくらいだけど、クロウ暑くねえのかな。聞くと、「あんま見せびらかしたくねえんだよ」だって。そんなクロウの趣味は、ピアス開ける前の強ばってる顔とか、墨入れられてて身悶えを我慢してる顔とか、無理やりやられてるときの顔とか、呑みすぎてゲロ吐いてる顔とゲロとか、そういう、人が一時的に苦しんでるのを見ることで、おれもいままで何度も潰されてお皿に吐いちゃって、その度クロウが「おまえサイコー」って乾杯して言ってくれるもんだから、鼻からゲロ出そうが切れ痔なろうが、そばにいたわけで。結局そういうところがスキ。
「なあもう出ねえ? 外の空気吸いてえわ」
 おれの了承を得ようともしないまま、トレーをさっさと持っていってしまう後を追いかける。後ろから強引に手を伸ばしてまだ中身が入ってるバニラシェイクの紙カップを救出し、ストローをくわえてゆらゆら振る。意地汚いおれを見てクロウは「それもうドロドロだろ? 新しいの買ってけよ」と眉を寄せて言うが、おれは首を振る。こういうのが好きなんだって。それからクロウはトレーを階段の前にあるゴミ箱の扉に乱暴にぶつけて揺り落として、携帯と財布で膨らんだケツのポケットをおれの前で振り振りさせる。マックを出て路駐していた車に乗り込んで、おれは助手席じゃなく後部座席に寝転んだ。髪の毛いっぱい抜いて放置してやる。嫁に怒られな。
 排気ガスをたくさん置き土産にして、クロウはいつも通り道路状況を気にせず流れに入り、そしてその流れをぶち壊しにする。夕陽の差し込む車内にはガンズ・アンド・ローゼズのスウィート・チャイルド・オブ・マイン。プラス苛立ちと焦りのクラクション。運転席側から吹き込んでいた風が止んだから、きっと窓を閉めたんだろう。音量はおれたちを痺れさせるまでに質量を増す。手の中のカップが汗をかいて服を濡らしている。進行方向が横向きだとなにか新鮮でいい。脱いだ靴が四方へ転がる音がする。甘ったるい車内香水に酔いそうだ。夕陽はおれの腹を照らしている。紫色の引っかき傷がある薄べったい腹だ。ああ愛しい我が子。いい曲だ。
「男でも妊娠できたらいいのになあ」
「ばァか、そしたら世の中ゲイだらけになっちまうだろ」
「おれたちみたいに?」
「一緒にすんな」
 少なくともおれは妊娠ってもんをしてみたい。自分の体内にもうひとり人間がいるってどんな気分になるんだろう? そのままセックスしたら中の子も孕んだりしねえかな。そしたらまたその中の子の中の子も子どもができて……。みんながみんな愛しい我が子に想いを馳せるんだろう。そうしたらそれってすごい強力なエネルギーが生まれるんじゃないか? 例えば、だれか好きな人を振り向かせる、乙女ちっくなパワーとか。おれとおれの子を捨てるの、と、おれとおれの子とおれの子の子とおれの子の子の子を捨てるの、だったら、数が多い方が絶対に有利だと思うんだよな。ああ、もしクロウがカニバリズム愛好者とかじゃない限り、だけど。
「てかいまどこ向かってんの?」
「んー、もう着くから寝てろ」
 自分の裏側で風景がぐるぐる回るように移動して、音楽はユー・クッド・ビー・マインに変わっていた。それから程なくして停車して、クロウはエンジンを切らずに座席を倒してこっちに顔を見せた。ベルトを外して助手席に投げる。嫁の座るとこだろう。寛げた前の部分から見えるボクサーパンツはドルガバ。それに対しおれが穿いていたのはキティちゃん柄のトランクスだ。食わしてもらってる人の趣味だけど。脱がしてわざわざバックミラーに掛けやがるその意地悪さには吹き出してしまった。ない腹筋を駆使して半分起き上がると、思わずカップから手を離してしまって、落ちた衝撃で蓋が外れた。真っ白のバニラシェイクがおれの靴へ真っ逆さまになっているのを見て、おれもクロウも笑った。笑ったけど笑い声は音楽にかき消された。白濁に濡れたぐじゅぐじゅの次に、窓へ目をやると、そこは見覚えのある、今朝通ってきた道だ。すぐ傍にそびえ立つレンガ造りのマンション。おれが住み着いてるのは二階の角部屋だ。時刻は夕陽が沈む辺り、帰ってきたらどうしよう?
「おまえ、ほんと悪趣味な」
「こういうのが好きなんだろ?」
「うん」
 金柑と紫キャベツが混ざった車内でクロウのタンウェブピアスがきらりと光る。負けじと舌を突き出すと、濡れた粘膜が音で震えるのがわかった。甘いのがいい、甘いのをくれ。舌先だけで、声にもならない(おまえはおれのものになれるのに!)。