ありがとうも言わない――もだ
人間を捨てた自分に対して、最新鋭のAIを搭載したおしゃべりの達者なロボットをあてがうなど、皮肉もいいところだ。第一印象は「小さい」だった。音もなく現れたその白い小型ロボットはカイトの前で一時停止すると、全身を検分するように首を伸ばしたり縮めたりしてみせたあと、妙にハキハキとした口調で「初メマシテ、カイト様。ワタクシ、コレカラオ仕エサセテ頂キマス、オービタル7、ト、申シマス」そう自己紹介してみせた。そういえば忌々しくも上司であるMr.ハートランドから、近々君の助手としてロボットを支給すると以前伝えられていた気がする。とするとこいつがそうか。 オービタルの声は街中やこの建物でよく目にするお掃除ロボットや救護ロボットなどのように平板で如何にもな機械音声ではないのがまず驚いた。決してロボット関係に明るくないカイトだが、ナチュラルに発音ができる、それだけでこのオービタルとやらが高度な知能を搭載していることはすぐに知れた。 無言なまま見下ろすカイトに、オービタルは自然な動作で首を傾げてみせた。 「コノ言語デハ通ジナカッタデショウカ?」 その後少年のような声が言語プログラム云々と言い出したので、そこでようやくカイトはこのロボットと会話をしなければならないのか、と嘆息した。 「そのままでいい、通じる。だがオービタルとやら、オレはおまえのような鉄の塊など求めていない。必要ない。元居たとこに戻れ」 Mr.ハートランドから寄越されたロボットなぞいらない。大方こちらを監視するためのロボットだろう、そんなものは邪魔になるだけだ。 普通「戻れ」と命令されれば、一般的なロボットであれば素直に従うか、または堅苦しい口調で承諾できませんと否定するかのどちらかだろう。オービタルはというと、またしても激しく首を上下させながらヒイ! とひきつった声をあげたのだった。 「後生デアリマスカラ、ドウカスクラップニダケハ……!」 命乞いをするロボットなど初めてみた。だから「貴様、妙なロボットだな」と言った。オービタルは萎縮するようにカメラのライトをぴかぴかさせると「ヨク言ワレマス」とアームを伸ばして頭部を掻くようなジェスチャーをし、カイトはますます仏頂面になった。 ハートランドのヤツめ。皮肉のつもりか。 ――猫背
「……。まあいい。足は引っ張ってくれるなよ」後から思い返せば、やつの口癖となる「カシコマリッ!」を聞いたのは、そのときが初めてだったように思う。 いままでたったひとりでハントをしてきたというのに、どこへ行くにもなにをするにも雛のように後ろにくっついてくるものだから、違和感で背筋がむずむずする。人間特有の温度や恣意を持たないため、気配がほぼなく、そこが唯一の救いだが、例えば洗面所でしばらく水道を使ったのち、外へ出ると、当然のようにそこに立っている(というとなにか変だが)ので、毎度驚かされる。こいつ、まさかオレの睡眠中もオレの傍にいるのか? たまらず、「お仕え」というのはどの範囲までなのか明確にしろと命令すると、「ソ、ソレハ……」とどもるし、ハートランドも明言しない。求めることはこなしてみせるが、オレの求めること以上をしてくるので、正直言って迷惑以外のなにものでもない。せめて一瞬でも離れておきたくて、 「マグカップを持って来い」 と言いつけた。すぐに走っていったが、困惑することだろう。なにせ食器棚には数えきれぬほどのマグが並んでいる。どれを選んできたって、難癖つけて追い返してやろう。何回も繰り返せば、オレに嫌気が差して、必要以上に近寄らなくなるだろう。それがオレにとっても、やつにとっても、幸福な道のはずだ。 そうこういっている間にやつが戻ってきた。不気味に伸びた指先で、マグの持ち手を摘んでいる。……こいつ、よりによって。 「タクサンアッタノデ、カナリ迷ッタノデスガ……」 差し出されたのは、普段ハルトが使っている小さめのそれで、こいつには、最新鋭AIとは別に、人の心を読む機能でも搭載されているのでは? と疑わざるを得なかった。 ――もだ
「……フン、貸せ」なにを選ぼうが突き返してやろう、という企みは一瞬にして潰えた。最愛の弟の顔がカイトの脳裏に閃き、かつてそうであったように健康的に微笑む姿を連想してしまったいま、もうそんな真似はできそうにない。 手から奪いとってやりたがったが、あいにくとオービタルのそれは硬い。力任せに奪い取れば割れてしまうかもしれない。このマグの色は兄さんの髪の色に似ているね、と比較的体調の良いときに口にしていたのを思い出した。 カイトはオービタルが疑問符を浮かべながらおそるおそると言ったふうにマグカップを差し出すまで待つほかなかった。 カップを片手にカイトは一旦調理場へと降りることにした。このハートランドシティ中心に立つ象徴的なタワーで働く従業員たちに向けてつくられた厨房は、食堂からの連絡を受けて二十四時間いつでも調理できるよう管理されている。カイトの与えられた社員IDがあれば難なく侵入できた。食事時を外しているため近くに人影はない。奥のほうでなにかしら料理をしている気配はするものの、見咎められることはないだろう。仮に見つかったところで、一社員がハートランド直属の部下であるカイトを追い出すことなどできやしないのだが、あまり見られたくない光景である。なるべくなら人気はないほうがいいのだが。 「カイト様、一体何ヲ?」 いつから着いてきていたのか、オービタルはやはり金魚のフンよろしくくっついてきている。無視して常備している砕いたチョコレート、温めた牛乳をマグに入れる。 ハルトの好物。甘いホットチョコレートに、最後にクリームを混ぜて白い渦をつくった。 手馴れた手つきでホットチョコレートを作るカイトに、そばで見ていたらしいオービタルは「オイシソウ、デ、アリマス!」と歓声をあげた。うるさい。 「馬鹿か貴様、飲めんくせに何が美味しそう、だ」 スミマセン、とオービタルはしおれた花のように消沈してみせた。 「デモ、ハルト様ハソレニ、マシュマロヲ浮カベルノガオ好キダ、トキキマシタガ」 「……マシュマロだと?」 「ハイッ!」 ただ眉をひそめただけなのに、そのロボットは勢い良く返事をするとタイヤを走らせた。数秒と待たない内に戻ってきて、アームの先にマシュマロらしい袋を持っている。 「ドウゾ! カイト様」 主人の投げたボールをきちんと持ち帰ってきた犬のようにカイトをじっと見上げるオービタル。 ――猫背
心なしか目の部分が媚びるように光った気もするが、気のせいにしておく。たかがロボットだ。それにしては出来すぎだが。袋を乱暴に奪い取り、数個浮かべてやると、我ながら随分とメルヘンな一杯である。少なからず感心していると、いまだこちらを見つめ続けているやつと目が合って、礼をいうと負けた気がするので無視した。 冷めないうちにと部屋へ持って上がると、ハルトはベッドで寝息をたてており、珍しく穏やかな寝顔をしていた。顔色は相変わらず優れないものの、目元や額から力が抜けていて、以前の健やかな姿を思わせる。 「ハルト……」 サイドテーブルにマグを置き、空いた手で頬を撫ぜてやると、閉じていた瞳がゆっくりと開き、息を吹き返したように目覚めた。起こしてしまったことを謝りつつ、弟の体調のいいことが嬉しく、口元の綻びを押さえきれない。確かめるように数度撫ぜていると、甘い香りがこちらになだれ落ちてきて、ハルトの視線がそちらへ向かった。 「これ……」 「好きだったろ、ホットチョコレート」 「マシュマロ……?」 渦に沿うようにスプーンでかき混ぜ、小さいつぼみのようなくちびるをマグに付ける。内心やけどしないか心配でたまらなかったが、無事小さなのどがこくんと動いたのを見て安心した。それからその一杯を飲み干しハルトが再び眠りにつくまで、オレたちふたりはたっぷりと贅沢で豊かな時間を過ごした。 「良カッタデスネ、カイト様!」 空っぽのマグを戻しに(実はハルトに飲み物を作るだけでなく飲んだあとのマグを洗うのもすこし幸福だ)動く歩道に乗っている途中、そう話しかけられたが、良かったのはオレではなくハルトだろう。そこは間違えてほしくないため、訂正すると、また萎縮して平謝りだ。 いちいち鬱陶しい、オレの相棒ならば毅然としていろ。……礼を言う気も失せる。 |